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2009年11月10日 (火)

線が顔になるとき ――バンドデシネとグラフィックアート――

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線が顔になるとき ――バンドデシネとグラフィックアート――

(原題:Lignes de vie, le visage dessiné

著:ティエリ・グルンステン(Thierry Groensteen)

訳:古永真一


 マンガに描かれる“顔”について考察した学術的なフランスの書籍の邦訳。ひとくちに“マンガ”といっても、取り上げる事例はフランス、アメリカ、イタリア、アルゼンチン等多岐に渡っています。もちろん日本のマンガについても、手塚治虫はもとより、白木卓(おそらくはオヤジ向け週刊誌に掲載されたとおぼしきギャグマンガ)に、少女マンガで描かれる大きな瞳、ポケモンのキャラクターデザインと、実に広範囲に言及しているのが面白いです。


 著者は冒頭で、スコット・マクラウドの『マンガ学』を引用します。そこでは、不定形なラクガキであっても目玉を書き込むことで“顔”になることが指摘されています。それだけ人は“顔”を求める、ひいては、人は人を希求するものなのかもしれません。


 古今東西、マンガには様々な“顔”で埋め尽くされています。そこで著者は、それぞれのマンガに描かれる“顔”を分析していきます。観相学、感情学、カリカチュア、類型化、コード化、幼形成熟、クローズアップ……etc、etc。ところどころ難しい文章が続くのでちゃんと理解できているのか心許ないのですが、それでも、マンガがマンガの魅力たらしめている仕組みがどこにあるのかを突き詰めて考察することは、マンガを楽しむ上で、或いはマンガを描く上で、研究する上で、有意義なのではないかと思いました。


 本書にはまた異なる楽しみ方もあります。日本では知られていないマンガ家については巻末に略伝が付いていますので、ちょっとした外国マンガ入門書のおもむきがあります。マンガ家の名前でネットで画像検索してみることで様々な画像を堪能して楽しみました。また、引用されている図版から興味をかきたてられることもありました。例を挙げますと、「フレンチコネクション」という時事マンガからアンドレ・マルローに興味を持ちましたし、本書ではいちばん多く図版が引用されているホセ・ムニョス(画)とカルロス・サンパヨ(原作)のコンビの作品を読んでみたくなりました。


 更に、個人的に大発見だったのは、当ブログ6月29日付け記事で取り上げた『Mort Cinder(モート・シンダー)』の一件。語り部キャラであるEzra Winston(エズラ・ウィンストン)が作画家のArberto Breccia(アルベルト・ブレッチャ)の老後を想定した自画像であるというのは、言われなければ気が付かないところでした。原作者のHéctor Germán Oesterheld(エクトル・ヘルマン・オエステルヘル)の作品を立て続けに読んでいた身としては、Ezra Winstonは原作者の分身であるとばかり思っていたからです。いずれにせよ、Arberto Brecciaは基本的に原作付きの作品ばかり描いていましたし、当ブログ4月20日付け記事で取り上げたドキュメンタリー映画「Imaginadores(イマヒナドーレス)」によると大量の自画像を描いていた模様なので、彼にとって、彼自身が自作のキャラクターなのかなと思ったりもしたものでした。


 ……最後、本書の主旨から外れたところで熱く語ってしまいましたが、本書は読む人の関心事しだいで様々な発見があるのではないかと思いましたし、今後、バンドデシネを始めとする外国マンガの知識が増えた折りにも読み返してみたくなる本だと思いました。


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