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2005年8月21日 (日)

Zig et Puce(後編)

 8月20日付け記事の続きです。


 フランスの古典漫画のアルバム(単行本)「Zig et Puce, tome 1 : 1925-1928」の冒頭に掲載された、Michel Gregによる解説文(1986年6月に書かれたもの)から、興味深い話をピックアップしていきます。日本でいえば大正末期から昭和初頭にかけての、フランスの漫画事情の一端が見えてくるようです。


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●「TINTIN(タンタン)」の作者Hergé(エルジェ)とAlain Saint-Ogan、Michel Gregの三者が一堂に会した時、HergéはSaint-Oganに「またお会い出来て嬉しい」と挨拶した。Saint-Oganは忘れていたのだが、1931年パリで、Hergéは描いたものをSaint-Oganに見て貰っていたのだった。その際、励ましの言葉を貰って、Hergéは感激してブリュッセルに戻って行ったのだが、それから40年後、Saint-Oganは「もし私が彼に、ちっとも才能がないとか諦めた方が良いなどと言っていたら?その責任は計り知れない!」と青ざめたという。


●ペンギンのキャラクターAlfredが北極で発見された話をを創り出してから20年後、Saint-Oganは、ペンギンは北極には存在しなくて南極に生息するものだと知った。「もしそれが分かっていたら、冗談抜きに、ZigとPuceのマスコットは虎にしていただろう。アフリカで出会っていたことにして…」


●その反面、Saint-Oganは、Lindbergh(リンドバーグ)が「Spirit of Saint-Louis」号の機内にAlfredの人形を持ち込んで行ったことや、このペンギンがJosephine Baker(ジョセフィン・ベーカー)と一緒にポーズを取って写真に撮られたことを誇りに思っていた。


●連載の始まった1925年当時、フランスの漫画は「Gédéon le Canard」「Bécassine」「les Pieds-Nickelés」と、本当にに少なかった。まだセリフは“吹き出し”の中に書かれず、絵の下に描かれた。ところが異なった手法で描かれたアメリカの漫画は好評を博していたので、フランスの新聞社達は権利を買い取り、掲載にあたってはアメリカのキャラクターを“変装”させて、どうにかこうにかフランス風の外観にした。こんな風にして、「Le Demanche Illustré」紙では「BICOT」が掲載された。しかし、登場人物仲間が空き地で野球に興じるに至って、読者である
子供達は理解できず奇妙に感じた。そこで「フランスの漫画を作ろう」ということになり、Saint-Oganに、登場人物のセリフが吹き出しの中に書かれた連載漫画の依頼が来た。そして3日後、ZigとPuceの冒険が生まれた。


●「Zig et Puce」は「Dimanche Illusteré」連載の後、「Benjamin」「Zorro」、ベルギーの週刊誌「Bravo!」、そして「Tintin」に掲載された。「Tintin」のスローガンは『7歳から77歳の子供達に』であったが、Saint-Oganは、正式に特例を認めてもらった。
Wikipédiaの「Zig et Puce」の項によると、Saint-Oganによる連載が1925年~1956年、Gregによる連載が1963年~1969年、だそうです)


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 上記の文章から分かるように、即興で描かれたせいもあって、この作品は、後続の「TINTIN」等と比べると、絵も話もいまひとつ洗練されてはいません。手書き文字も、かなり読みにくいですし。しかし、キャラクターの魅力や、ところどころに見られるちょっとしたギャグや、継続して読者を引きつけるテクニック等、その後の漫画の原型のようなものがあるんじゃないかと思ったものでした。

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