2009年11月10日 (火)

線が顔になるとき ――バンドデシネとグラフィックアート――

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線が顔になるとき ――バンドデシネとグラフィックアート――
(原題:Lignes de vie, le visage dessiné
著:ティエリ・グルンステン(Thierry Groensteen)
訳:古永真一

 マンガに描かれる“顔”について考察した学術的なフランスの書籍の邦訳。ひとくちに“マンガ”といっても、取り上げる事例はフランス、アメリカ、イタリア、アルゼンチン等多岐に渡っています。もちろん日本のマンガについても、手塚治虫はもとより、白木卓(おそらくはオヤジ向け週刊誌に掲載されたとおぼしきギャグマンガ)に、少女マンガで描かれる大きな瞳、ポケモンのキャラクターデザインと、実に広範囲に言及しているのが面白いです。

 著者は冒頭で、スコット・マクラウドの『マンガ学』を引用します。そこでは、不定形なラクガキであっても目玉を書き込むことで“顔”になることが指摘されています。それだけ人は“顔”を求める、ひいては、人は人を希求するものなのかもしれません。

 古今東西、マンガには様々な“顔”で埋め尽くされています。そこで著者は、それぞれのマンガに描かれる“顔”を分析していきます。観相学、感情学、カリカチュア、類型化、コード化、幼形成熟、クローズアップ……etc、etc。ところどころ難しい文章が続くのでちゃんと理解できているのか心許ないのですが、それでも、マンガがマンガの魅力たらしめている仕組みがどこにあるのかを突き詰めて考察することは、マンガを楽しむ上で、或いはマンガを描く上で、研究する上で、有意義なのではないかと思いました。

 本書にはまた異なる楽しみ方もあります。日本では知られていないマンガ家については巻末に略伝が付いていますので、ちょっとした外国マンガ入門書のおもむきがあります。マンガ家の名前でネットで画像検索してみることで様々な画像を堪能して楽しみました。また、引用されている図版から興味をかきたてられることもありました。例を挙げますと、「フレンチコネクション」という時事マンガからアンドレ・マルローに興味を持ちましたし、本書ではいちばん多く図版が引用されているホセ・ムニョス(画)とカルロス・サンパヨ(原作)のコンビの作品を読んでみたくなりました。

 更に、個人的に大発見だったのは、当ブログ6月29日付け記事で取り上げた『Mort Cinder(モート・シンダー)』の一件。語り部キャラであるEzra Winston(エズラ・ウィンストン)が作画家のArberto Breccia(アルベルト・ブレッチャ)の老後を想定した自画像であるというのは、言われなければ気が付かないところでした。原作者のHéctor Germán Oesterheld(エクトル・ヘルマン・オエステルヘル)の作品を立て続けに読んでいた身としては、Ezra Winstonは原作者の分身であるとばかり思っていたからです。いずれにせよ、Arberto Brecciaは基本的に原作付きの作品ばかり描いていましたし、当ブログ4月20日付け記事で取り上げたドキュメンタリー映画「Imaginadores(イマヒナドーレス)」によると大量の自画像を描いていた模様なので、彼にとって、彼自身が自作のキャラクターなのかなと思ったりもしたものでした。

 ……最後、本書の主旨から外れたところで熱く語ってしまいましたが、本書は読む人の関心事しだいで様々な発見があるのではないかと思いましたし、今後、バンドデシネを始めとする外国マンガの知識が増えた折りにも読み返してみたくなる本だと思いました。

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2009年10月24日 (土)

『ユーロマンガ』vol2とvol3

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 バンドデシネを翻訳して日本に紹介する雑誌。めでたく第3号が刊行されましたので、復習がてら第2号から読み直しました。バンドデシネは日本のマンガと違って、絵もフキダシも高密度。あわてて読むと消化不良を起こすのでご注意を。でも、ゆっくりと味わって読むと、きっとあなたの心の滋養となることうけあいです。

 第2号までは、アメリカが舞台やモチーフとなっていたり、作者がディズニーで仕事をしていた等、作品にアメリカの色合いを強く感じたものですが、第3号になると、ヨーロッパ色が強くなってきました。新しく掲載された作品の中には、フランスの昔と今を伝えるものもあります。思えば、最近の日本のマンガは海外を舞台にするものが少なくなってきました。『ユーロマンガ』を通じて海外の空気に触れることができるのは、とても素敵なことだと思います。この素敵な交流がずっと続きますように。

 また第3号では、私も「スペイン漫画の歴史」というコラムを書かせて頂きました。この雑誌に参加できて実に光栄ですし、執筆の過程で教えを請うたり調べたりして私自身勉強になり、とっても素晴らしい経験でした。

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2009年10月17日 (土)

Arrugas

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Arrugas(皺)
作:Paco Roca(パコ・ロカ)
Astiberri社、2009年刊(初版2007年刊)

《あらすじ》
 かつて銀行の重役だったEmilio(エミリオ)は、子供達により、養護老人施設へと預けられる。同室のMiguel(ミゲル)はお金にうるさく抜け目がない。食事の時のテーブルには、時折面会に来る孫のために色んなものを取っておく女性Antonia(アントニア)や、アルツハイマーの夫Modesto(モデスト)の世話を焼く妻Dolores(ドローレス)がいる。また、施設には様々な行動をとり、様々な思い出を持つ老人達が、日々の暮らしを送っている。そして重症の老人は2階の部屋へと入れられる。Emilioはある日、Modestoと薬を間違えられたことで、自分がアルツハイマーだと知る。Miguelは日常を変革しようと車を手に入れ、EmilioやAntoniaと共に深夜をドライブしようとする…

《感想など》
 今回もスペインの漫画をとりあげます。本作は、前回取り上げた『BARDÍN el Superrealista(スーパーリアリスト・バルディン)』に続いて、2008年の「Premio Nacional del Cómic」(漫画国家賞)を受賞したとのことで、その評判がうかがえます。『BARDÍN』は哲学的・抽象的な作品でしたが、こちらは「老い」というハードなテーマを扱った作品。だから途中で読むのがつらくなったりもしましたが、人物の描写に作者の暖かい目線が感じられ、また、彼らが老いを受け入れていく過程が描かれているので、読後感はおだやかな感じでした。

 ところでこの単行本、初版はフランスで刊行されたとのことで、スペインの漫画家には、フランス(語圏)でデビューしてから自国で単行本が刊行されるというパターンが結構あるみたいです。

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2009年10月 7日 (水)

BARDÍN el Superrealista

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Hechos, dichos, ocurrencias y andanzas de
BARDÍN el Superrealista

(スーパーリアリスト・バルディンの事実、言葉、思いつき、そして冒険)
作:Max(マックス、1956-)
La Cupula社、2007年刊(2006年初版)
●作者Maxのサイト

 スペインの漫画本。あらすじを説明するのが難しい…。BARDÍN(バルディン)という名の中年男性が主人公の、シュールで時にブラックでユーモラスな短編集です。作者のMax氏は、先る5月29日にセルバンテス文化センター東京で来日講演をし、今発売中の雑誌『季刊エス』に小野耕世氏との対談が掲載されているので、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。講演では「スペインはブラックユーモアのゆりかご。死に対して悔やみの気持ちもあれば、ブラックユーモアとして受け止める視点もある。ゴヤの絵やフラメンコ等にブラックユーモアの表現が見られる(←メモを取ったのですが、言い回しが少々不正確かも)」と語っていたのが印象的でした。本書はスペインで2007年に文化省による第一回「漫画国家賞」(Premio Nacional del Cómic)を受賞しているとのことで、現地で好評を博している模様です。

 BARDÍNはスーパーリアルな世界に召還されて奇妙な体験をしたり、友人とコニャックを飲みながら議論を戦わせたり、悪夢にうなされたり、異世界の住人から啓示を受けたり言い負かしたりと、日本のマンガには無いようなへんてこりんなショートショートの連続です。ダリの映画「アンダルシアの犬」が元ネタとなっていると思しき短編もありました。話題が哲学や宗教にも及ぶので読んでいて難解でしたが、画面のデザインが凝っているので、眺めているだけでも楽しいものです。目玉3つで構成されたミッキーマウスもどきのキャラクターがユーモラスでしたし、オリジナルのマンダラが展開されたり僧侶が現れたりと、ところどころで東洋趣味が現れるのが面白かったです。とりわけ興味深かったのが、『季刊エス』でも紹介されていた、ラストのオチに「クレヨンしんちゃん」が出てくる短編で、スペインでの「しんちゃん」人気があらためてうかがえました。あの痛ましく残念な事故で「しんちゃん」の作者が亡くなった時もスペインでも報道され、多くのファンが追悼のコメントをしていました。

(最終更新日:10月15日)

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2009年9月16日 (水)

Corto Maltese : Sous le signe du Capricorne

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Corto Maltese : Sous le signe du Capricorne
(コルト・マルテーズ:山羊座の下に)
作:Hugo Pratt(ユーゴ・プラット、1927-1995)
Casterman社、2001年刊
初出:Pif gadget 1970年 58,59,66,75,82,89号
(初出は→こちらを参考にしました)

《あらすじ》
I Le secret de Tristan Bantam(1.トリスタン・バンタムの秘密)
 オランダ領ガイアナのパラマリボにて。Corto Maltese(コルト・マルテーズ)は、Madame Java(ジャバ婦人)の宿に滞在していた。そこに、イギリスはロンドンからTristan Bantam(トリスタン・バンタム)という少年が訪れる。来訪の目的は、異母妹に会うことと、亡くなった父が残した古文書の謎を突き止めることだった。Cortoは、プラハから亡命した考古学者のSteiner(シュタイナー)と共に、Tristanをサポートする。そこに、異母妹のMorgana(モルガナ)の使いで魔術使いの女性や、Tristanの命を狙う者が現れ…

II Rendez-vous à Bahia(2.バイーアでのランデヴー)
 Corto、Tristan、Steinerの3人は、Morganaに会うために航路ブラジルのバイーアへ向かう。中途立ち寄った島で脱走犯Cayenne(カイエンヌ)と出会い、彼をかくまうカリブの先住民族達の呪術を目の当たりにする。Cayenneを加えた一行は、Morganaの邸宅へと到着する…

III Samba avec Tir Fixe(3.ティール・フィックスとのサンバ)
 Corto、Tristan、SteinerはMorgana達と共に、Morganaの魔術の師匠であるBouche Dorée(ボシュ・ドレー、黄金の唇)へと会いに行く。Bouche Doréeは、Cortoの母親である"Niña de Gibraltar(ニーニャ・デ・ジブラルタル、ジブラルタルの瞳)のことを良く知っていた。また、Bouche Doréeは、Cortoに一仕事を頼む。その内容は、白人の圧政に対して武装蜂起をした“カンガセイロ”と呼ばれる人々へ救援物資を運ぶことだった。現地では、殺された首領の代わりに、Tir Fixe(ティール・フィックス)が陣頭指揮をとっていた…

IV L'aigle du Brésil(4.ブラジルの鷲)
 Bouche DoréeのもとでくつろいでいたCortoだが、Tristan、Steinerと共に出発し大西洋を北上する。時は第一次大戦下、連合軍の船舶ばかりが遭難する海域があった。Corto達は漂流するヨットを発見し、大怪我をした漁民を助ける。その近くの島に上陸すると…

V ... Et nous reparlerons des gentilshomm es de fortune(5.そして、海賊達のことを再び話そう)
 Corto、Tristan、Steinerは、或る小島にいる。そこにはスペインの海賊が盗んだ黄金が隠されているという。その隠し場所は、鯨の骨で出来たトランプのカードのエースに刻まれていて、4枚揃うと分かるという。クラブのエースのカードを持つCortoは、海賊の子孫の女性に会いに行く。女性はダイヤのエースを持っていて、更に、ハートのエースを持つRaspoutine(ラスプーチン)に再会し…

VI À cause d'une mouette(6.1羽のカモメのせいで)
 海岸に漂着したCortoは記憶を失っていた。敬虔なキリスト教信者の白人女性Soledad Lokäath(ソレダ・ロカース)に敵と間違って撃たれた後、保護される。Soledad Lokäathは従者である先住民族の男性Jésus-Marie(ヘスス・マリエ)と暮らしているが、辺りをつけ回す男や彼をかばう司祭がいて…


《感想など(かすかにネタバレ有り》
 当ブログで頻繁に話題にしている「Corto Maltese」シリーズの第2巻。このシリーズはカラー、モノクロ、小型本と様々なバージョンが存在し、また、最近リニューアル版が刊行されている模様なのですが、当ブログで取り上げるのは“全12巻バージョン”ということで、どうぞよろしくお願い致します。第2巻から、Cortoの本格的な冒険の旅が始まります(掲載誌も、フランス語圏へと進出しています)。南米を舞台に、植民地や人種問題、戦争を背景に、時に神秘的体験を交え、読者はぐいぐいと未知の世界へと引き込まれていきます。黒人の描写などは、差別が厳しかったであろう1970年発表当時には斬新だったかも知れません。地名や歴史上の出来事、呪術に関連した固有名詞などが多く出てくるので読むのに結構難儀したのですが、ネットで検索すると日本語でも情報が出てくるので助かりました。

 大海原を航海するCorto Malteseの冒険は、一見、颯爽として格好良さそうにも見えますが、単にそれだけの話ではありません。人々の思惑に翻弄され、助けたかった人は助けられず、宝物は手に入らず、海賊の過去は蒸し返され、時に昔の仲間が現れて危険で魅力的な冒険へといざなう。多くの困難が待ち受けている中、己を信じて遠くを見据え、自分の道を切り開いていくCortoの行く先を、これからも少しずつ見届けていこうと思います。

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2009年8月25日 (火)

雑誌「ふらんす」でBD特集

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 今発売中の雑誌「ふらんす」(→公式サイト)9月号で、題して「BDの楽しみ」という特集が組まれていたのでご紹介いたします。とりわけ興味深く読んだのは座談会で、récit(物語)としてBDを読む楽しみや、フランスではクリスマスや誕生日に親から子へのプレゼントとしてBDを贈るという話に、なるほどと思いました。私も当ブログを書きながら少しずつBDを読んでいますが、モノクロ長編のものは辞書を引きながら物語にぐいぐいと引き込まれる楽しみがありますし、ハードカバーでフルカラーのアルバムは確かにプレゼントとして魅力的ですものね。ただ、個人的な悩みとして、どうしても単語が覚えられず何回も辞書で同じところを引いたり、日本語能力の問題もあるのですが、心の中でうまく日本語に変換できなかったりと、密かに悲しい思いをしているので、前回のエントリで取り上げたNHK教育のテキストと併せて、頑張ってコツコツ勉強したいと思います。

 また、最近の「ふらんす」誌は、毎月、表紙と記事でBD作品を紹介していて、今回取り上げられているのは、Lewis Trondhaim(ルイス・トロンダイム)による「Les formidables aventures de Lapinot(ラピノの素晴らしい冒険)」シリーズ最終巻の「L'accélérateur atomique(原子加速器)」。表紙の写真からもお分かりの通り、「Spirou et Fantasio(スピルーとファンタジオ)」へのオマージュで、いつか読んでみたい1冊です。

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2009年8月22日 (土)

NHK「テレビでフランス語」でメビウスインタビュー

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 現在発売中のNHK教育テレビのテキスト「テレビでフランス語」9月号にメビウスのインタビュー誌上再録が載っていたので、取り急ぎご報告。なお、TV放映は8月27日放送、8月29日再放送だそうです。

●NHK語学番組 テレビでフランス語のページ
 「8月27日(木・水曜深夜)午前0時からの放送は、特集番組編成のため午前0時30分からに変更となります。」とのことで、放映時間は念のため事前に確認しておいた方が良いかも知れません。

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2009年8月18日 (火)

LUCKY LUKE Le film TOUS À L'OUEST

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LUCKY LUKE Le film TOUS À L'OUEST(ラッキー・ルーク映画版 皆で西部へ)
原作:Morris(モリス) & Goscinny(ゴシニ)
監督:Olivier Jean-Marie(オリビエ・ジャン=マリー)
(2007年フランス公開)
●公式サイト

《あらすじ》
 1855年のニューヨーク。Les Dalton(ダルトン4兄弟)が裁判にかけられた。Lucky Luke(ラッキー・ルーク)が証人として出廷しようとするが、入れ違いに脱走される。Dalton兄弟はNY中の銀行を強盗しまくり、得た金袋をセントラルパーク予定地の空き地に止めてあった馬車の荷台に隠す。金袋を回収しようと空き地に戻ると、そこは移民たちの馬車が集結しているため、どこに隠したか分からなくなった上に、Lucky Lukeが待ち構えていた。Lucky LukeはDalton兄弟を収監しようとするが、そこに居合わせた移民たちから、カリフォルニアへ連れて行ってもらえないかと頼まれる。移民たちはカリフォルニアの土地を購入したものの、80日間のうちにたどり着かないとキャンセルされてしまうという。しかも代金は前払いしている。何やら怪しい話なのだが、売主のCrook(クルック)と執行人Bartelby(バートルビー)立会いのもと、80日間がスタートした。移民たちは出身国も様々で、各々の馬車も個性的。Lucky Lukeはカリフォルニアに到着してからDalton兄弟を収監しようと考え、Dalton兄弟は道中に金袋を見つけ出そうと画策し、CrookとBartelbyはこっそりと行く手を妨害し、行く手には何かとアクシデントが到来し……。
(アメリカ西部劇につき、人名は英語風表記にしました。でも、映画の中でLucky Lukeのことを皆、口をとんがらせて「リュッキー・リュック」って呼ぶので、ラッキー・ルークと表記するのは少々気が引けました…。)

《感想など》
 有名な西部劇バンド・デシネのアニメ映画化。過去に2回TVアニメ化されて、youtubeやdailymotionでよく見かけます。原作のシリーズは過去にアルバムが3冊翻訳されていて、東京なら多摩の都立図書館で閲覧できます。前回のエントリで取り上げた、Moebius(メビウス)が語るところの「子ども向けのBD」の有名作であり、しかも翻訳もされたというのに日本であまり人気が出なかったのは……、ひとえに読みづらいからかなぁ。単調なコマ割に絵とエピソードをみっしりと盛り込んで、48ページでも日本のマンガに換算すると全2巻くらいのボリュームはありそうな気がして、読んでて結構疲れました。ただ、翻訳されていたのは古い作品ばかりだったので、後の作品だともう少し、読み口も軽くなっているかも知れません
 翻訳とアニメDVDに共通して感じたのは、主人公のLucky Lukeは見た目はキャラが立っているのだけど、あまり自我を感じさせないというところ。個性的な登場人物たちを相手に、正義感があって面倒見が良くて気の良い人というだけで、少々物足りない気がしました。個人的には『Spirou et Fantasio(スピルー&ファンタジオ)』のSpirouみたいだなぁと思ったものでした。
 アニメ映画は『La Caravane』という原作のアルバムがあるそうなのですが、そちらは未読。アニメ化にあたっては、子供向けということで、喫煙と飲酒はしないようにしているみたいです。お酒の代わりにレモネードを飲んでいます。でも、いわゆる“インディアン”や各移民の描写は時に戯画化が類型的過ぎて、政治的には正しくないかも…。でも、ギャグ漫画に対してあまり固いことは言いにくいかも…。とりあえず、日本人が出てこなくて良かったと身勝手ながら思ったものでした。また、前回のエントリで取り上げた、Moebiusが語るところの、フランス人にとっての西部劇やアメリカというものがどのようなものかがうかがえて興味深かったです。
 このアニメ映画の監督は『オギー&コックローチ』と同じ人なので、随所に盛り込んだドタバタギャグは、この人ならではと思いました。特に最初と最後の追跡劇が圧巻。反面、全編通して見るのはちょっと疲れるのですが(言葉の問題もありますし)、DVDなら少しずつ見ることもできるから、盛りだくさんなのは良いことかも、とも思いました。本編には聴覚障害者用の字幕が付いているので、ときどき再生を止めて辞書を引いたりしました。辞書を引いてて思うのは、フランス語って聞き取りがやっぱり難しい。オーディオコメンタリーやメイキング等の特典も盛りだくさんなのですが、これらを楽しめる日は果たして来るのでしょうか……(泣)。

(最終更新日:8月22日)

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2009年7月 4日 (土)

ユリイカ・メビウス特集号

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ユリイカ2009年7月号(通巻568号)
特集 * メビウスと日本マンガ

 当ブログ4月26日付け記事でご紹介した来日シンポジウムの模様や、識者による論文やコメント、詳細な作品紹介と、メビウスに関する情報がギッシリ詰まった一冊。

 5月の来日シンポジウムといえば、明治大学のに拝聴しに行ったものでした。メビウス氏の談話においては、ところどころで二つの要素を挙げて解説するのが印象的でした。曰く、「ブルーベリー」という西部劇というジャンルを何故選択したのかという問いに対して、第二次世界大戦後のフランスにアメリカの文化が流入したことと、逆にヨーロッパ人がアメリカを開拓したという二つの歴史的な関係、また、新しい思想が古い世界を征服する、或いは逆に近代に対して伝統側から抵抗が生じるという二つの側面。曰く、子どもの頃に接した、子ども向けのBDと、大人向けのイラストレーションという二つの世界。曰く、BDの世界の中の、従来からの子ども向けBDと、新たに起こりつつあったハイティーンや大人向けの表現。曰く、自分自身の表現と、市場や編集者からの要求。自分自身を表現することの喜びと恐れ。……等々。

 思えば、それらはペンネームの由来の「メビウスの輪」の両面のような、また、京都精華大学でのシンポジウムで出て来た、一枚絵としての絵画とBDとの違いをどのように意識しているのかの問いに対する答えとして言われた「一本の棒の両端のようなもの」なのかも知れません。ジャン・ジロー名義の作風とメビウス名義の作風もまた然りで、時に異なっているように見えても、その二つはどこかでつながり、一人のBD作家を形作っているのだと思いました。

 ところで、今回の一連のイベントの予告をネットで見かけたとき、京都精華大学 学長室ブログ4月15日付け記事には、企画展のタイトルが「Moebius au pays du Manga」と書いてありましたし、明治大学のシンポジウムのパネラーはユリイカのマンガ批評特集号でよく見かける顔ぶれだし、あくまでも主役は日本のマンガなのかなと思ったものでした。でも、日本のマンガの、とりわけ80年代の重要な作品のいくつかには確かにメビウス氏の画風の影響がありましたし、シンポジウムやインタビューでメビウス氏の語る言葉のひとつひとつには表現者にとって普遍的なものがありました。今後、日本のマンガが発展していく上で、また、外国と交流していく上で、この一連のイベントが良いきっかけとなれば良いなと思いましたし、また、本誌の豊富な記事や論文は充分にそれを補うものだと思いました。

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2009年6月29日 (月)

MORT CINDER T.1 : LES YEUX DE PLOMB

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MORT CINDER T.1 : LES YEUX DE PLOMB
(モート・シンダー 第1巻 : 鉛の眼)
シナリオ:Héctor Germán Oesterheld (エクトル・ヘルマン・オエステルヘル、1919-1978?)
画:Alberto Breccia(アルベルト・ブレッチャ、1919-1993)
初出:『MISTERIX』誌714号(1962年7月)-735号(1962年12月)、『MISTERIX SPÉCIAL』誌(1962年12月)
VERTIGE GRAPHIC社、2002年刊

《あらすじ》
 Ezra Winston(エズラ・ウィンストン)は、ロンドンで骨董商を営む老齢の男性。或る日、“SQUELETTE(スケレット、骸骨の意)”と呼ばれる出入りの男が奇妙な(蜘蛛の?)形をした魔除けのような物体を持ち込む。それをくるんでいた古新聞の見出しには「殺人犯Mort Cinder(モート・シンダー)、今日絞首刑に」の文字が躍る。Ezraの手のひらにその奇妙な形の跡が残る。Ezraの行く先々で奇妙なことが起こる。言葉を交わす相手の手や顔には同じく奇妙な形が表れ、新聞には同じ見出しが躍り、“鉛の眼”をした3人組につけ回され……。
 逃げまどうEzraは墓地に行き着く。Ezraは墓地の番人に出会い、ここがMort Cinderの埋葬されている墓地だと知る。Ezraは、“鉛の眼”の3人組がMort Cinderの墓を掘り起こしてとどめを刺そうとするのを目撃する。Ezraは3人組を阻止し、蘇生したMort Cinderと共に難を逃れ、その背景にある陰謀に立ち向かうこととなる……。
(英国が舞台の物語につき、登場人物のカナ表記は英語っぽく書きました。)

《感想など(少々ネタバレ有り)》
 アルゼンチンの古典漫画のフランス語版。シナリオを描いているのは前回のエントリで取り上げた『El Eternauta』のH.G.Oesterheld。作画はアルゼンチンの代表的な漫画家の一人であるAlberto Brecciaで、フランス語に翻訳された作品も多く刊行されています。また、今年2009年、米国アイズナー賞の「Eisner Hall of Fame (殿堂入り)」にノミネートされているとのことです(→こちら)。
 本作は、不死の男Mort Cinderをめぐる物語で全2巻の内の第1巻。時空を旅するMort Cinderと、聞き手であるEzra Winstonとの間柄は、『El Eternauta』におけるJuan Salvoと漫画シナリオライター(H.G.Oesterheldの分身)にも似ているような気がします。またその一方で、作画家のA. Brecciaは主人公Ezra Winstonの顔を自身をモデルとして描き、Mort CinderはアシスタントのHoracio Laliaがモデルだったそうです(参考→こちら)。
 A. Brecciaの画風は薄墨を使った凝ったもので、この仏語版は濃淡も再現しているのですが、おそらくモノクロ2階調の印刷だと、ところどころかすれて、あたかも昔の劣化した白黒映画のような怖い雰囲気が出てくるのではないかと思います。A. Brecciaは作品によって画風がかなり異なるのですが、一貫して見る者の恐怖心をかきたてます。個人的には、心に刺さる感じがします。Ezra WinstonとMort Cinderの逃走劇は、画風に加えて演出も恐ろしいものでした。とりわけ骸骨が転がっている地下道の場面で、追っ手の声のこだまかはたまた骸骨が蘇って語りかけるのか分からなくなってくるあたりが……。
 ストーリーの核となる陰謀は、『トワイライト・ゾーン』や『怪奇大作戦』にもありそうな気もするのですが、他者の生きてきた記憶を自分のものとしたい欲望というのは、シナリオライターであるOesterheldの願望が入っているのかどうかが気になりました。また一方で、不死の体を持ち様々な人生経験を経ているMort Cinderには、それだけ負の記憶をも積み重ねている訳で、その悲劇と苦悩は第2巻で描かれている模様です。 オチが綺麗に決まっているので一瞬、理路整然としたストーリーになっているかと思いきや、よく考えてみると冒頭の蜘蛛の形をした骨董品の意味が分からないし(読み落としがあったら申し訳ない…)、“SQUELETTE”と呼ばれる出入りの男や沼地の住人等、Ezra WinstonをMort Cinderへといざなう人物の存在は不条理で、でも不条理であるからこそ、読者である私もEzraと共にMort Cinderに惹き付けられるのかなと思いました。


(最終更新日:7月6日)

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